全く久しぶりに栗矢の大畑を訪問した。りんごの選果の仕事の手を止めて、まーちゃん夫妻が歓待してくれた。座敷には梧竹の「鎮国の山」の拓本の掛け軸が飾ってあり、圧倒された。
お茶を頂きながら作者の中林梧竹の話を伺った。
中林梧竹(なかばやし ごちく)とは、いかなる人物か、また、佐賀の人がなぜ栗矢の原九右衛門翁と親交があったのか疑問に思い、帰宅してからWeb検索した。
この「鎮国之山」の碑は、梧竹の郷里である佐賀県の小城市でも、阿智村でも有名な逸話としてとりあげられており、大畑の掛け軸はたいへん貴重な拓本であることが判った。以下検索結果。
■中林梧竹・・・小城市のふるさと納税のページより
1827年4月19日生~1913年8月4日。明治の三筆の一人。小城藩士中林経緯の長男として小城に生まれる。19歳のとき江戸に遊学し、山内香雪や市川米庵に書を学び、帰藩後は藩の子弟に経書を講じ、藩政に携った。56歳のとき北京に渡り、当時中国で有数の能書家であった潘存に学び、秦漢の篆書、隷書、楷書を研究した。
帰国後、銀座にある伊勢幸の青木方で、29年間研究に専念し梧竹芸術が完成。65歳のときには、十七帖の臨書を天覧に供し、明治天皇から御衣を賜った。
梧竹堂書話に「百代の新風を樹立する」とあるが、現在でも梧竹の書は高く評価されています。そのもっとも有名な作品は富士山山頂にある、「鎮国之山」の碑で、その意味は国家を護(まも)る山。
■全日本美術HP 歴史の中の書による説明
鎮國之山(拓本)72歳 富士山頂浅間神社鳥居脇
■郷里(阿智村)のHPの説明
「Hara Takashi」という方のHPで、伍和の偉人伝として紹介
・原九右衛門 富士山頂に「鎮国之山」の碑を建立
■飯田高校同窓会記事 「鎮国之山」の碑めぐる書縁・人縁
武藤高義氏(元カルピス社長) tosui08_p22-23
※:武藤高義氏
昭和13年3月25日 長野県飯田市生まれ
昭和36年慶應義塾大学経済学部卒業
平成7年6月カルピス食品工業㈱(現カルピス㈱)常任顧問
平成15年3月取締役社長(代表取締役) 執行役員社長
平成17年3月取締役会長(代表取締役) 執行役員会長
平成19年3月相談役
■不二教・実行教
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
実行教(じっこうきょう)教派神道 13派の一つ。神道実行教ともいう。扶桑教と同じく富士講の長谷川角行を祖とする。角行の教えが種々の流れに分れるなかで,肥前の柴田花守が教えを受け本教の発展に努力し,1882年教派として独立,初代管長となる。
追記:
他の地域同様、栗矢も鹿が出てくるそうで、鉄砲でしとめた鹿肉のワイン煮をお土産にいただいた。ジビエ料理は独特の臭みがあり肉も硬い印象があったが、大畑の鹿肉の赤ワイン煮は柔らかく、ワインと一緒に戴くと、たいへんおいしかった。
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