ブラタモリで「ちばらぎ」が取り上げられたが、放映された内容は地理的にも歴史的にも興味深く、また伊能忠敬の生家もあることから、梅雨の合間をぬって、急遽、銚子・潮来・佐原・筑波を訪ねた。
6/17 日(月) 第一日目
6・16(日)の午後、キュウリの固定作業と夕食を済ませ、18:00に堤やを出発。
中央道-京葉道路-千葉東金道路を使って犬吠埼の駐車場には1時過ぎに到着。途中、小仏トンネルの渋滞があったので、初狩SAで仮眠をとり、岬には当初計画より2時間ばかり遅くついた。車の中で仮眠して日の出を待つ。
▼犬吠埼の日の出
予報通り4:20に水平線からスッと光があがった。考えてみると海から出る太陽を見るのは生まれて初めてだ。写真では、日の出の瞬間の表情を十分表現できずに残念。
▼犬吠埼地学散歩
犬吠埼は1億2000万年前の地層であり、海底痕跡を数多くみることができる学術的に貴重な地層となっている。そのため「犬吠埼の白亜紀浅海堆積物」として2002年に国の天然記念物に指定されている。
砂岩泥岩互層
▼千騎ケ岩、犬岩・・・砂岩・泥岩からなる千葉県最古の地層
▼屏風ケ浦
下総台地が海の波によって削られた高さ30~50mの海食崖。千葉県銚子市犬岩から旭市刑部岬まで約10㎞にわたって続き、「東洋のドーバー」と呼ばれている。
最上部は関東ローム層(6万~1万円前の火山灰)、続いて香取層(10数万年前海底堆積物)、最下段が犬吠層(300万年~40万年前に海底に堆積した地層)
▼伊能忠敬 銚子測量記念碑
富士山の方位計測は測量精度を確かめるために重要であり、伊能忠敬はここで富士山の方位角を計測した。 この日、遠く岬の先端に雪を被った富士山を見ることができた!!
▼銚子商業高等学校
甲子園で流れる銚子商業高等学校の高歌
「幾千年の昔より、海と陸との戦の、激しきさまを続けつつ、犬吠埼は見よ立てり」
の通り、高校は、屏風ケ浦の上、下総台地の上に建っていた。
野球部グランド
▼鹿島神宮
犬吠崎周辺を散策後、鹿島神宮を参詣した。
鹿島神宮は、日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する建御雷神(タケミカヅチ)を祭神としている。古代には朝廷から蝦夷の平定神として、また藤原氏から氏神として崇敬された。その神威は中世に武家の世に移って以後も続き、歴代の武家政権からは武神として崇敬された。現在も武道では篤く信仰される神社である。(Wikipedia)
ブラタモリでの説明の通り、鹿島神宮の社殿は蝦夷を意識して、北を向く配置となっている。
鹿園
境内には鹿園があり、神の使いの日本鹿が飼育されている。神宮の社名が「香島」から「鹿島」に変化したことについても、神使の鹿に由来するといわれる。春日大社の創建に際しては、神護景雲元年(767年)に白い神鹿の背に分霊を乗せ多くの鹿を引き連れて出発し、1年かけて奈良まで行ったと伝えられており、奈良の鹿も鹿島神宮の発祥とされている。
▼御手洗池
神宮境内の東方、台地を下ったとろこに位置する神池。池には崖からの湧水が流れ込み、水深は1メートルほどであるが非常に澄んでいる。
▼西の一の鳥居
北浦湖畔の大船津にあり、古くから大船津は神宮参拝者の船着場であったため、神宮の門前町もこちらの西方側に広がっている。
▼潮来あやめ園
潮来ではあやめまつりを見た後、水郷佐原の十二橋を回った。
▼加藤洲十二橋
加藤洲十二橋は、利根川と常陸利根川にはさまれた広大な水田地帯の一角にある。この辺りは、かつて家と家、あるいは田んぼの間を、縦横に張り巡らされた水路をつたって舟で行き来していた。
加藤洲の入口まで車で行くと、水門を監視している地元の舟組合の方がいて、加藤洲12橋について説明をしてくれた。
加藤洲の水路には、江戸時代、この洲にあった12軒の家と家を結ぶ簡単な橋が12架っていたので十二橋と呼ばれるようになったそうである。また利根川と水路の水位(潮位)が違うために、パナマ運河のように船が行き来するために水門が2重になっている。昔、水門の開閉時に船が突っ込んで事故があったので、門には監視員がつくとともに、信号灯で通行許可の表示をしているそうだ。鉄製で自動開閉する水門はなかった当時は、人力で板を使って水路の開閉をしていたとのこと。
潮来を題材とした歌謡曲が多いが、説明してくれたおじさんの娘さんも、「潮来花嫁さん」の衣装であやめ祭りに出たそうだ。
▼利根川と水路を結ぶ水門
利根川側の水門を上げると、水門の凹部になまずや魚がかかっていることがあるとのこと。利根川は今でもウナギが遡上するので、うなぎの仕掛けを置いているところもあるが、昔ほどは獲れなくなったようだ。
▼佐原 伊能忠敬記念館
水郷から20分ほどで伊能忠敬記念館に到着。江戸時代、この地域には河岸問屋や醸造などの商家が軒を連ねていたが、現在もその景観が維持され、「重要伝統的建造物群保存地区」となっている。
▼伊能忠敬生家
伊能忠敬が使った象限儀
緯度の測定をするためのもので、北極星をはじめとする恒星の高度を観測し、その土地の緯度の測定を行う。金属プレートに刻まれた目盛にはダイヤゴナル目盛りがあり、最小1分まで観測可能のようだ。(http://sts.kahaku.go.jp/hitnet/result.php?m=1053)
佐原をあとにし、霞ケ浦のほとりにある予科練平和祈念館に向かったが、月曜日は休館で見学できず、霞ケ浦を眺めて、本日の宿、チサインイン土浦・阿見に向かった。
いつの時代も交通で運ぶものは「モノとヒト=情報」であり、交通が良くなければ商業も文化も発展しない。陸路や空路がない時代においては、水運の利があるところに、商業や文化が発展するということを実感できる旅となった。
6月18日(火) 第二日目
▼筑波山登山
朝6:30にホテルを出て、筑波山神社から登山を開始。
筑波山に登るルートはいくつかあるが、奇岩、怪岩を巡ることができる白雲橋コースで女体山に登頂し、帰りは男体山を経て、ケーブルカー沿いの御幸ケ原コースで下山した。
▼山頂877m
▼つくば市 筑波研究学園都市方向を臨む
男体山方向
つつじが丘からのロープウェイ
▼「筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる」と、百人一首で陽成院が詠んだみなの川(男女川)の源流
▼JAXA 筑波宇宙センター
登山を終え、午後は筑波宇宙センターを見学した。
筑波宇宙センターは筑波研究学園都市の一画にあり、1972年に開設された。約53万平方メートルの敷地に2000人の職員がいて、
・「きぼう」日本実験棟を用いた宇宙環境利用や、宇宙飛行士養成と活動推進
・ロケット・輸送システムの開発と、技術基盤確立のための技術研究推進
等を行っている。
ISSの希望モジュール
宇宙デブリとの衝突を保護する壁面構造。大きなデブリに遭遇しそうなときは、ステーションの軌道を変えてよけるそうだ。
ISSへ物資を運搬するコウノトリ
国産ロケットH-IIの主力エンジンLE7
▼宇宙服の重さは120㎏とのこと。
▼一般無料公開の施設を見たあと、有料見学ツアーに参加した。
ツアーでは、宇宙飛行士養成棟や、ISS(希望)の管制センターを見ることができた。守秘内容も多く、写真撮影は一部のみ可能であった。
筑波研究学園都市の主要幹線道路はすべて3車線で街路樹で覆われ整然としている。街はアメリカ的、シリコンバレー的な雰囲気を感じた。
研究学園都市にはJAXA以外にも見学できる施設が多数あるので、また訪れてみたいと思った。
■ 2日間の行動内容と費用
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