首都圏はコロナ変異株による感染者の増加で緊急事態宣言が延長されているが、栃木県は感染者数もまだ少なく安全であろうとの判断で、本年度予定していた足尾銅山・日光の巡検ツアーを実施した。当初計画では群馬の沼田市で河岸段丘を見る予定だったが、こちらは群馬県にまん延防止措置法が発出されたので取りやめとした。
2021-05-17(月)足尾銅山 その光と影
足尾銅山は江戸初期に採掘が始められ江戸幕府の御用銅山となった。1877年(明治10年)、古河市兵衛が銅山を買い取り民営化すると、最新の技術や設備によって急速な発展をとげ、日本一の銅山に成長し日本の近代化を支えた。しかし精錬過程で発生する亜硫酸ガスによる煙害や、採鉱~精錬で発生する重金属を含んだ排水が渡良瀬川下流域に水質・土壌汚染をもたらし、大きな環境破壊問題に発展した。これらの問題は日本の公害対策運動のきっかけとなった。
足尾銅山は昭和48年に閉山したが、その後輸入鉱石による精錬事業は続けられ、昭和63年にその稼働も停止した。現在は足尾銅山観光として坑内の一部を開放し、その歴史や仕組みなどが分かるようになっている。
▼足尾銅山観光 トロッコ電車で坑内へ
トロッコ電車の終点からは、さらに総延長1200キロに及ぶ坑道が続く。最盛期の大正時代には年間14,000トンを超える銅が産出され、足尾町の人口も38,000人にも達した。(当時の宇都宮の人口が5万人)
江戸時代の坑内作業の様子。過酷な労働であったことがうかがえる。
坑道内に析出している硫酸銅
▼渡良瀬川の上流、足尾砂防ダムがある銅(あかがね)親水公園まで来ると、坑道に使う森林伐採と、亜硫酸ガスや山火事で禿山になった山々が見える。近くには足尾環境学習センターがあり、足尾銅山の歴史や緑化事業などについて学ぶことができる。
▼旧足尾精錬所の煙突
環境学習センターの方の説明によると、銅山は本山坑、小滝坑、通洞坑の3つの坑道からなっていたとのこと。精錬所から排出された亜硫酸ガスと山火事により、上流にある松木村は廃村となった。(Googleマップ上にイメージ図を作成)
▼備前楯山の麓にある本山坑の入口跡
▼精錬過程での亜硫酸ガス排出をなくすために採用された自熔精錬法の説明(足尾銅山観光)
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