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旅の記録 歳時記

2022-11-16 大津・坂本

11月16日(水)
近江・びわ湖の旅の2日目。当初の計画では三井寺を含め3つのお寺を巡る予定だったが、もう少しゆっくり時間を過ごすことにして、石山寺と坂本の旧竹林院のみ訪ねた。

石山寺

宿を8時45分に出て石山寺に向かった。石山寺はびわ湖から流れ出る瀬田川の西岸に位置する真言宗の総本山。境内には硅灰石(石灰岩に花崗岩が接触したことによる熱作用で変質したもの)が突出し、お寺はその上に建てられている。平安時代、京の都から石山寺へ参拝する石山詣が貴族の間で流行。その中でも紫式部が石山寺で源氏物語を起筆したという伝承が有名。(HPより

▼東大門前 まだ9時ということもあり参拝客はまばら。

▼88段の階段を登り、本堂前の硅灰石の石山(岩の塊)へ

▼硅灰石

石灰岩・堆積層の褶曲が見られる

▼多宝塔(国宝)

▼本堂

▼本堂の懸崖と紅葉

▼石山寺の参詣を終え抹茶をいただいた後、門前のトイレに行くとその横に三鈷の松があった。
(写真はtravel.jpから拝借)

三鈷の松とは:
唐から帰国する弘法大師が仏教の法具三鈷を投げたところ、日本まで飛んで高野山の松の木に掛かり、そこに伽藍を建立しといわれている。以来、この霊験あらたかな松の木は「三鈷の松」と称されるようになった。通常の松の木の葉は2本だが、三鈷の松の葉は3本であることが多く、ご利益があるとされている。

石山寺の三鈷の松の下にある由緒書きには、

「弘法大師空海上人が弘仁二年(811年)御年四十二才の厄年に、三ヶ月間石山寺に、御修行された、大師ゆかりの松なので、三鈷(金剛杵密教の法具)の松と傅承された。一七九七年「東海道名所図絵」刊行にも立派な棚をした松が描かれている。」

と書かれていた。9月に高野山詣りに行ったとき、三鈷の松を拾い忘れたので、これも何かの縁と思い、石山寺の三鈷の松の葉を拾って持ち帰ることにした。 

坂本・旧竹林院

石山寺から比叡山の麓「坂本」にある旧竹林院に向かった。坂本は門前町として栄え、現在は国の重要伝統建造物群保存地域に指定されている。延暦寿僧侶の隠居所である里坊が多数あり旧竹林院は里坊の一つ。邸内には茶室と国指定の名勝庭園が広がっている。

竹林院の庭園には香港系の外人観光客もいたが、それでも京都に比べて人が少なく、静かに庭を鑑賞することができた。

穴太衆積みの石垣

坂本は想像していたより急傾斜の土地であった。そのためか里坊の石垣が多い。これの石垣は坂本の穴太(あのう)に住んでいた石工集団が手掛けた「穴太衆積み」と呼ばれる独特のもので、なかでも滋賀院門跡の石垣が美しいといわれている。そこで車を市役所支所前の駐車場に停めて町を軽く散策した。穴太衆積みの特色は、加工しない自然石を巧みに組み合わせ、小石を中に詰め込んで完成させていくという技法で、「石の声を聞け」という口伝に象徴されている。

▼滋賀院前の石垣

坂本を見学し帰途についた。途中、びわ湖の東岸にある西の湖の葭の原(よしのはら)に立ち寄った。湖周辺のヨシ群落は近畿地方では最大級で周囲は水郷が張り巡らされ、「安土八幡の水郷」として有名。ヨシ原を主体とする湿地には動植物が多く確認され、2008年にびわ湖のラムサール条約湿地エリアとして西の湖も追加登録されている。(https://azuchi-shiga.sakura.ne.jp/) ちょうど2日前、NHKの「小さな旅」で西の湖が取り挙げられ、西の湖の葭をつかった屋根造りをする一級建築士の女性の方が紹介されていたが、それを思い起こしながら葭原を眺めた。(https://www.yoshi-tome.com

葭原と安土城(手前の山)

帰りは西の湖から彦根に向かい、名神高速道路に乗った。途中、SAで夕食をすませ飯田には19:45に到着した。

近江、坂本エリアには多くの歴史的資産があり、それらの多くは平らなところに立地しているので、自転車でサイクリングしながら、歴史を探索すると楽しいだろうな思った。

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