2023-10-04 岐阜城
今日は昨日とはうって変わって「曇一時雨」のあいにくの天気になってしまったが、計画通り、まずは岐阜城天守閣のある金華山に登ることにした。岐阜城も職場旅行で一度来たことがあるが、ロープウェイ終着駅から狭い階段を登ったこと以外まったく覚えてない。今回、登山道を登ってみて、金華山はチャートの山であることを初めて知った。
最高点の標高: 349 m
最低点の標高: 20 m
総所要時間: 02:21:10
城の裏手の登山道となる「水の手道」には、いたる所に層状チャートが露出していて、金華山がチャートの山塊であることが想像できる。雨で濡れた岩は滑りやすく慎重に登った。
麓から約50分で天守に到着。すると山はガスで覆われ小雨が降りだしので慌てて天守に入場した。岐阜の街並みや濃尾平野は残念ながら見ることができなかったが、金華山の山容はつかむことができた。
岐阜城はかつて稲葉山城と称し、戦国時代は斎藤道三の居城であった。その後織田信長がこの城を攻略し、この地方一帯を平定するとともに、「井の口」という地名を「岐阜」に改称し天下統一の拠地とした。宣教師ルイス・フロイスの記録には、千畳敷と呼ばれる御殿の美しさが記されており、近年の調査から、信長はここを軍事拠点というより有力者の政治的な接待の場所として大改修させていたようだ。
■岐阜市歴史博物館
金華山からの下りは、城への表ルートである大手道(七曲り登山道)を下った。途中から雨が強くなってきたので、雨宿りも兼ねて岐阜公園にある岐阜市歴史博物館を見学した。
織田信長は岐阜の城下町を楽市楽座とするなど商業振興を図った。宣教師ルイス・フロイスは「城下町が驚くほどにぎわいをみせいる」と記しているが、歴史館には当時の資料をもとにその町並みと賑わいを立体的に復元した立体絵巻があった。
■各務原航空宇宙博物館
博物館見学後、昼食をとり、各務原にある「各務原航空宇宙博物館」に向かった。
各務原は戦前、陸軍が各務原飛行場を開設し、続いて川崎造船、川崎航空機工業が飛行機の工場を設立したという歴史的経緯から、航空機や自動車関連のさまざまな工場が集積している。各務原航空宇宙博物館は1996年、航空自衛隊岐阜基地に隣接する土地に開館され、STOL実験機や戦闘機の実機等が年代ごとにずらりと展示されいる。
館内には飛行機の操縦を体感できるシミュレーターもあり、ジャンボ機と小型ジェット機のシミュレーターにチャレンジしたが、操縦の感覚が判らず判定は”ランクC”だった。
▼各務原で最初に量産された「陸軍乙式一型偵察機」
▼三式戦闘機二型「飛燕」(川崎キ61-II改) 第二次大戦中の日本で唯一の液冷エンジン戦闘機。
▼マクドネル・ダグラス/三菱 F-4EJ改 戦闘機
航空自衛隊の主力戦闘機として1971(昭和41)年からライセンス生産され、各務原では主翼、尾翼、後部胴体が分担生産された。
▼ロッキード/三菱 F-104J 要撃戦闘機とジェットエンジン
1962(昭和37)年から航空自衛隊に配備された我が国初の超音速ジェット戦闘機。
▼航技研 低騒音短距離離着陸(STOL)実験機 「飛鳥」
戦後の短距離離着陸研究として、C-1輸送機をベースに、国産初のターボ・ファン・エンジンを搭載して作られた初の純国産大型ジェットの実験機
▼3Fの宇宙エリアにあるH-IIロケット用に開発されたLE-7エンジン
度重なる打ち上げ失敗の中で、海底3000mに沈んだ故障したエンジンを引揚げ原因を究明し、高信頼性のエンジンを実現した。
感想:
展示されている国産の機体は実験機が多かった。そんな博物館の航空機を見ながら感じたことは、日本の産業の将来への不安だった。
世界の航空機市場は年率約5%で成長すると見込まれる成長市場であるため、現在、全国各地に航空機部品を一括受注・一貫生産する航空機産業クラスターが活動しているようだ。一方、国産の三菱リージョナルジェット(MRJ)は中距離向けの旅客機として世界市場に羽ばたこうとしたが、度重なる不具合で開発が遅れ、今年度、撤退を余儀なくされた。この失敗に対していくつものメディアが日本の航空産業の問題、課題を指摘している。
三菱の国産ジェット機が撤退に追い込まれた必然 政府も含めたビジネス感覚、当事者意識の欠如 日本の防衛は大丈夫か 東洋経済オンライン
なぜ国産旅客機「MRJ」は失敗したのか 現場技術者に非はなかった? 知られざる問題の本質とは
航空機の部品点数は約百万点と言われるように、その設計と製造にはさまざまな技術が必要である。自動車同様、人の命を預かる航空機は、非常に厳格な信頼性・安全性が重要であり、その設計・型式認定・製造を実現するには高度な専門知識とスキル、チャレンジ意欲のある強い意志を持ったエンジニアとリーダーが必要である。
ところが、航空産業の育成を主導する政治家・省庁は、掛け声とスローガンは立派だが、内情は専門性に乏しい素人ばかりであり、組織の壁を壊してプロジェクトをやりきるような意志や気概のある人はいない。その結果、壁にぶつかっても、何としてもこれを乗り越え実現しようとする、やる気と資金が出てこない。こうした環境にあっては、航空機産業クラスターなどは言葉遊びに過ぎず、アメリカの航空メーカの下請けとしての産業は続くだろうが、日本の新たな産業となることなど、とても期待できない。今経産省がやっきになって進めている最先端半導体の内製化「ラピダス」も同様の失敗する予感がしてならない。
航空産業のおひざ元にある各務原周辺のクラスター特区の認定企業は、今の状況をどう考えているのだろうか。博物館の展示物を見ながらそんなことを思わざるを得なかった。
参考:各務原 もづくりナビ
追記:2023/12/09 中日新聞記事
私が感じた問題意識と同じ内容の論説が掲載されていた。
追記:2024-01-18 信毎記事
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