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中山道 歳時記

2023-10-17 中山道 関ケ原~河渡宿

2023-10-17 中山道 関ケ原~河渡宿ウォーキング

<GPSの測定が途中で止まってしまい、呂久から美江寺宿までのデータがない>

今日も秋晴れの晴天。月末になると柿の収穫作業が始まり、また初冬になると関ケ原周辺は季節風で寒いだろうから、街道ウォーキングはこの時期しかない。そこで意を決して先週の河渡宿から西へ歩みを進めることにした。

今回は列車の時間の都合から「関ケ原」まで電車で行き、そこから前回の終点である河渡宿の最寄駅の穂積まで27㎞を歩いた。NHK番組「心の旅」の火野正平ちゃんと同じで、標高の高いところから下っていくコースである。このコースの途中にある「垂井宿」や「美濃赤坂宿」は中山道と東海道に通じる美濃路との追分で、交通の要衝であったことから大勢の旅人で賑わったそうで、古い街並みも見られて往時を偲ぶことができた。

ウォーキングの途中、前から歩いてきたご婦人に「中山道を歩いてるんですか?」と呼び止められた。彼女は五街道を8年間かけて歩いている東京の街道ウォーカーで、この中山道が最後の街道だそうだ。私と同じように日に25~30㎞近く歩いているが、今日は早めに関ケ原まで行って古戦場を歩くとのことだった。「奥州街道は駅がなくて30㎞以上歩かねばならず大変だっとことや、中山道を歩きはじめたらコロナ騒動が始まり電車に乗れずに歩けなくなってしまったこと、碓氷峠越えはヒルにやられて大変だったこと」など、街道歩きの苦労を話してくれた。こちらは腰痛対策で長野県内の中山道だけ歩こうと思ったが、今年はその続きを歩くことにしたと説明すると、「ぜひ日本橋まで歩いてください。」と励まされた。
街道歩きは往時を偲ぶことができるルートは面白いが、交通量の多い道を歩くのはつらい。ただ、歩くことで地理的、歴史的に意外な発見もあり、とりあえず中山道だけは通しで歩いてみようかと思った。

▼9:30 関ケ原駅を出発。
飯田を6:15に出発しJR鵜沼駅に8:05に到着。近くの駐車場に車を止めて、JR高山線~東海道線で関ケ原駅に向かった。

▼9:50 関ケ原宿。 街道には当時の松並木が残っている

 

街道の多くの民家には金木犀や金木犀の生垣が植えられており、甘い秋の香りが漂っていた。

▼10:19 垂井の一里塚

▼10:40 垂井宿の家並

古くからある家には、木曽路で見られた”屋号”がつけられている

垂井宿東の見付けにある相川橋から伊吹山を望む

▼10:50 垂井追分道標

▼昼飯(ひるい)大塚古墳
垂井の街で出会った地元のおじさんから、「赤坂宿の手前に大きな前方後円墳があるから見たら良い」と教えてもらったので立ち寄った。

▼墳墓の頂上から関ケ原、伊吹山方面を望む

▼墳墓からは近くの石灰岩の採掘場が見える。
後で調べると金生山(かなぶやま もしくは、きんしょうざん)という日本有数の石灰岩の山だそうだ。良質な石灰岩、大理石があることから、江戸時代より採掘が行われていて大垣城の石垣にも石灰岩が使われているとのこと。(wikipedia 金生山) 伊吹山も石灰岩の山だから東海地区は数億年前はサンゴ礁だったのだろうか。近くに化石博物館があるようなので、またの機会に訪れてみたいと思った。

▼赤坂宿 12:15

四ツ辻周辺の建物

▼赤坂港 杭瀬川(かつては揖斐川の本流)を利用した石灰の船運に利用された

赤坂宿で昼食休憩をとり、美江寺宿に向かう

▼小簾紅園の呂久の渡し
ここはかつては呂久川(揖斐川)が流れており織田信長により「呂久の渡し」が開設された。以後、中山道と揖斐川が交差する「呂久の渡し」は交通の要衝であったとのこと。

▼揖斐川の流れ。揖斐川にかかる「鷺田橋」より

▼14:40 美江寺宿

美江寺宿の街並み

美江寺宿からさらに約5㎞歩き、JR穂積駅から電車で鵜沼駅に戻って17時に帰路についた。

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