10月は雨の日が多かったが、今週は大陸からの高気圧が張り出し秋空が広がっている。啓子さんのてんかん発作は落ち着いたものの、ずっとベットで寝ていたので筋力が落ちてしまい、車いすの生活に戻るにはもう2週間ほどリハビリが必要とのこと。それで少し介護の手が離れたので、今日は久しぶりに中山道を歩くことにした。2泊くらいして中山道を完歩したいが、いつ病院から呼び出されるかわからないので、車中泊日帰りで、「関ケ原~鳥居本」の23㎞を歩くことにした。
前夜(10/28)定例常会を終えてからウォーキングの準備をし、車にシュラフを積み込んで22時前に飯田を出発。関ケ原の手前の養老SAで車中泊した。当日(10/29)は快晴で夜は放射冷却が進み、養老あたりの平野部でも気温が6度まで下がり、車の中はかなり寒かった。それでも6時間弱は眠ることができた。
養老SAでパンを食べて7時に関ケ原古戦場に向かう。関ケ原古戦場近くの駐車場に車を止め、寒いのでダウンのベストを着こんでウォーキングを開始した。旧中山道の9割は国道21号線の騒音を避けて歩くことができ、また米原までの上り坂も緩やかなのでウォーキングにはちょうど良いコースだった。途中、5人くらいの街道ウォーカに出会った。
ウォーキングマップ:
▼不破関
関ケ原駅から1.5㎞歩くと不破関がある。
藤古川
この川の両側が河岸段丘のなっているため、不破関は自然の要塞として利用された。
黒血川
壬申の乱の戦いで両軍の兵士の流血が川底の岩を黒く染めたことからこの名が付いている
▼今須宿(59次)
問屋場(といやば)ー山崎家
人や馬の継立を行う問屋で、縁起物の永楽通宝の軒瓦があり、当時の繁栄をうかがえる。

▼寝物語の里
関ケ原観光ガイドより
岐阜県と滋賀県の県境に見落とすくらいの小さな溝があります。かつてはその溝が美濃と近江の国境となっていました。そこには国境の標柱が建っており、寝物語伝説の場所となっています。その昔、京都から奥州へ落ち延びた源義経を追う静御前が旅の道中で長久寺の近江側の宿をとりました。隣の美濃側の宿には義経の家来の源造が泊まっており、それに気づいた静御前が「義経に会うために、奥州まで連れて行ってくれ」と源造に懇願した、というやり取りがあったそうです。両国の宿に泊まる旅人が、寝ながらこの話をしていたことから、この土地の人々が「寝物語の里」と名付け、今もなお語り継がれています。
▼柏原宿(60次)
伊吹山の麓に位置し、近江国と美濃国の境にある交通の要衝。東西約1.5キロメートルにもおよぶ中山道の中でも大きなな宿場町。街道歩きの高齢者のグループがガイドさんと歩いていた。
柏原宿から伊吹山を望む
▼醒井宿(さめがいじゅく 61次)
山の湧水を水源とする地蔵川に沿って形成された宿場町。醒井宿の南には、鈴鹿山脈の北端に位置する霊仙山があり、豊富な水量を有する伏流水が北麓にある醒井の地蔵川や、丹生川および宗谷川を形成している。(Wikipediaより)
▼番場宿(62次)
番場宿手前の米原IC近くには東レやアイリスオーヤマの大きな工場が建っていた。米原周辺に多くの企業が進出しており、この地方の雇用の受け皿になっていることを感じた。

番場の忠太郎の碑
長谷川伸原作の戯曲『瞼の母』の主人公。番場宿で生まれ幼い頃に生き別れた母を恋い慕う渡世人の物語
▼小摺針峠
番場宿から小摺針峠へ。ここは米原市と彦根市の境界となっている。今は竹や樹で覆われているが、峠からは琵琶湖が望める。
▼鳥居本宿(63次)
鳥居本宿の枡形の入り口に有川家がある。万治元年(1658年)創業で、赤玉神教丸をはじめとする和漢胃腸薬を製造・販売しいる。
▼近江鉄道 鳥居本駅























コメント