山田洋二監督の「男はつらいよ お帰り寅さん」がテレビで放映された。その鑑賞の後、山田さんの作品を調べていたら「小さいおうち」と「家族はつらいよ」という二つの作品が目に留まった。作品の名前には聞き覚えがあるがまだ映画は見ていない。アマゾンで検索すると2タイトルともプライムビデオで観ることができたので、早速鑑賞した。
『小さいおうち』
原作は作家中島京子の作品で第143回直木賞を受賞している。山田監督は本作に惚れ込み著者に映画化を熱望する手紙を書いたとのこと(wikipedia)。映画のほうは第64回ベルリン国際映画祭で、若い女中役タキを演じた黒木華が最優秀女優賞受賞している。
あらすじ:
大叔母のタキ(倍賞千恵子)を亡くした大学生の健史(妻夫木聡)は、彼女の遺品の整理の中で健史に宛てられたノートを見つける。それは彼がタキに書くよう勧めていた彼女の自叙伝のノートであった。物語はこのノートに綴られたタキの回想を中心に進行する。
山形の貧乏な農家で育ったタキ(黒木華)は、農家の口減らしとして東京に女中奉公にいくことになる。彼女の2軒目の奉公先となる平井家は、郊外のモダンな赤い屋根の小さなうちに住む中流階級の家庭である。平井家は旦那様(片岡孝太郎)と奥様の時子(松たか子)、幼い息子の恭一の3人家族。平井氏は玩具会社の重役であり、時子は誰もが惹かれる若い美しい人妻であった。タキが奉公にあがった昭和初期の帝都東京は、関東大震災から復興し人々にも活気があった。昭和初期というと日本は軍国主義に走り、中国との泥沼の戦争に入っていく時期だが、帝都の住民の様子に暗い影はない。むしろ昭和11年(1936年)には東京オリンピックの開催と万博の併催が決定し、日中戦争では南京陥落が報じられて都民は歓喜し、デパートでは戦勝大勝利の大売出しが行われている。
映画はタキの回想シーンと、健史との会話のシーンが行き来する。ある日タキのアパートを訪ねた健史は、タキのノートを読み返し、
「おばあちゃんは間違っている。 昭和10年がそんなにウキウキしているわけがない。青年将校が2.26事件を起こし、日本は中国と戦争をしてたんでしょ。正直に書かなきゃだめだよ。」
とタキに言うのだった。しかし、当時の新聞や雑誌は満州や蔣介石のこと等、そう多くの記事を書かなかったのだ。戦争の詳細を知らない一般庶民は、外交はお上がうまくやってくれていると思っているだけで深い関心はなく、目の前の幸せを追う平和な生活を送っていたのである。
昭和13年の正月、平井の会社の部下で若いデザイナーの板倉正治(吉岡秀隆)が平井家を訪れる。商売より芸術に興味を持つ板倉と時子は、クラシック音楽の話題等で盛り上がるのだった。ある激しい嵐の夜、板倉が「ご主人は台風で出張先から戻れない」と告げるため平井家を訪ねてくる。二階の窓は強風で壊れそうになっており、板倉とタキは雨のなかで雨戸を固定した後、板倉は一晩泊まることになった。その夜、時子と板倉は互いに恋心を抱くようになるのだった。
その後、日本は徐々に戦争の色が濃くなり、昭和16年12月にはとうとうアメリカとの戦争が始まった。そのころ欧米から経済封鎖の制裁を受け、海外との輸出入もできなくなっていた中で、多くの日本人は真珠湾攻撃の勝利に胸がすく思いをし、タキも世の中がぱっと明るくなるのを感じたのだった。板倉は体が弱く徴兵検査は丙種だったので徴兵を免れていた。一方戦争で次第に若い男性が少なくなる中、板倉は平井の会社の社長からお見合いを進められ、その縁談を時子が取り持つことになる。そしてこれを機会に二人は逢瀬をかさねるようになるのだった。ある日タキは、板倉に会って帰ってきた時子の帯の締め方が出かけた時と反対になっていることに気が付き動転する。
昭和18年いよいよ板倉も出征することになり、時子は決心したように板倉に逢いに行こうとする。当時は姦通罪もあり、近所から板倉と時子の風評が聞こえる中、タキは時子を止めるべきか手助けすべきか激しく迷い、ある決断をするのだった・・・。
昭和19年の春、東京空襲に備えた疎開が始まる中、タキも時子に見送られ平井家を去っていく。
映画はタキが亡くなった現在のシーンに戻る。社会人になった健史はある日、本屋に貼ってあるポスターから、昭和の人気漫画家、イタクラ・ショージが「小さいおうち」に出入りしていた板倉だと知る。そして、板倉記念館の入館者名簿から、時子の息子の恭一が記念館を訪ねていることを知り、不思議な糸に導かれるように北陸で暮らしているという恭一(米倉斉加年)に会いに行く。そこで明らかになったのはタキが隠し通そうとしたある真実だった・・・。
ちょっとミステリアスで余韻が残る映画だったので、原作も読みたくなり早速購入して読んでみた。
昭和初期の帝都東京に暮らす中流階級の人々の日常や息づかいを感じる作品だった。ただ、太宰とか谷崎の作品とは異なり、日本がどんどん悪い方向に向かっている中、市井の人々は茹でガエルのように、ゆっくりと進む環境変化や危機に鈍感であったことも伝わってきた。東日本大震災から10年、新型コロナ禍でオリンピックの開催が危ぶまれ、日本の国のかじ取りが官僚化で弱体化し、世界では民主主義と専制政治の戦いが次第に鮮明になりつつある現在が、作品で描かれた戦前の昭和の時代と重なったからかもしれない。
参考:映画.com
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