ポイント消化のために、加賀山中温泉を訪ねた。
4月2日(火) 石川県立九谷美術館
九谷焼は加賀・大聖寺藩藩主、前田利治のもとで、鉱山開発の最中に陶石が発見されたことがきっかけとなり、磁器の生産が始められたと言われている。館内には江戸、明治、昭和、現代という4つの時期の九谷焼が陳列されいる。九谷焼の本領は絵付けにあるといわれているが、絵の具の材料などの詳細説明が少なく、少々物足りなかった。当日は九谷焼の茶器を用いた煎茶のお点前があり、そこでお茶をいただいた。
青手土坡ニ牡丹図大平鉢 (石川県九谷焼美術館 蔵)
4月3日(月)鶴仙渓遊歩道~片岡鶴太郎美術館
山中温泉の宿泊施設は、大聖寺川がつくる渓谷「鶴仙渓」に沿って立ち並んでいて、渓谷沿いには遊歩道が整備されている。午前中は鶴仙渓、温泉街を散策した。
川床
草月流家元・勅使河原宏氏のS字型の斬新なデザインの「あやとり橋」
片岡鶴太郎工芸館
片岡鶴太郎氏が山中温泉で製作した山中漆器 九谷焼作品などを展示している
中谷宇吉郎 雪の科学館
午後は片山津温泉生まれの物理学者「中谷宇吉郎の雪の科学館」を訪れた。科学館では、中谷宇吉郎の生涯を紹介した映画や、過冷却⽔とダイヤモンドダスト(氷晶)の再現実験を楽しむことができた。
中谷の⼈⼯雪の装置
ビーカーの⽔をヒーターであたためると⽔蒸気が上昇し、それが冷えて装置の上部につるしたうさぎの⽑に結晶ができる。 温度と⽔蒸気量の値を変えれば結晶の形が違ってくることがわかり、2 つの条件と形の関係を1つの表「中⾕ダイヤグラム」にまとめた。
中谷が考案したペチカを取り入れた日本住宅
中谷は、「ペチカは寒国で発達した暖房ゆえ悪いはずがない。日本住宅に適用させるためには、熱の散逸を極度に減らし廊下を全廃することである」と、随筆「続冬の華」で述べている。現代の省エネ住宅はその指向にある。もっと前にこの随筆に出会っていれば、飯田の家の設計も大きく変えたのにと思った・・・。
中谷宇吉郎と九谷焼
私は小学校へは入るために、八つの春、大聖寺町の浅井一毫あさいいちもうという陶工の家に預けられた。その頃七十幾つかで、白い鬚ひげを長く伸のばしたよいお爺じいさんであった。毎日、三方硝子戸ガラスどの暖い室にきちんと坐すわって、朝から晩まで絵を附けていた。(略)
私も随分手伝わされて、手が痛くなったこともあった。しかし面白かった。(青空文庫:中谷宇吉郎随筆集「冬の華」より)
4月4日(水) 帰途 九頭竜ダム~郡上八幡
山中温泉からは国道156号線を使って郡上八幡経由で飯田に戻った。その途中、九頭竜川ダムに立ち寄った。
ダムサイトより百名山の荒島岳を望む
旅を終えて思ったこと・・・
飯田から「xx平野」という名の付く土地に行くと、狭い日本ではあるが広大な土地や水田の広さに驚く。そして米がたくさん採れ経済が豊かだったからこそ、この地に有力大名が出現したのだなとつくづく思う。しかしその水田も今は工場団地、商業地、住宅地に変わり、さらに農業では生活できない経済環境が耕作放棄地を増大させている。福井から金沢に至る平野もそうした光景がうかがえた。
今、ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに多くの食料品の物価が上がり始めている。2年前はコロナ禍で消費が減り、牛乳などは酪農農家が泣きながら廃棄するくらいだったのに、乳製品の物価上昇も著しい。この落差は何なのだろうか? かつて自給率をあげることは国家の重要課題であったのに、戦後、アメリカの戦略で日本はすっかり農産物の輸入国にされてしまった。福井平野の肥沃な土地をながめると、自給自足を日本の最終目標に設定し、官民が真剣に課題解決に取り組めば、国際政治情勢に影響されない農業「資産」が活用できるのに残念でならない。
そんなことを思いながら、今回、青空文庫にある中谷宇吉郎の随筆を読んでいたところ、その中に「日本の将来」というエッセイがあり、同様の問題提起をしていることにびっくりした。この課題は70年前と何も変わっていないのだ。問題は為政者の質。今の日本は「米国から与えられた民主主義」という衆愚政治から、上杉鷹山のような賢帝による政治に変える必要がある。若い人が「故きを温ねて新しきを知り」、今の政治を変えてくれると嬉しいのだが。
コメント