無芸荘
無芸荘はもとは片倉の別荘で、その後、小津安二郎が晩年に脚本執筆のため滞在した蓼科高原の拠点。NHKのニュースで内部も一般公開されていることを知り訪ねてみた。小津は蓼科の自然、人情、酒がすっかり気に入り、盟友の野田高梧とともにここで『東京暮色』(1957年)から『秋刀魚の味』(1962年)までの名作を執筆した。
囲炉裏
居間
風呂
厨房
茅野市では、1998年から「小津安二郎記念蓼科高原映画祭」が開催され、小津作品の上映を中心にシンポジウムや短編映画コンクールなどが行われている、恥ずかしいことに、地元にいながら映画祭についても今回初めて知った。
小津の散歩道
小津は日に何度も蓼科の疎林を散歩した。界隈には笠智衆や佐田啓二らの山荘があるので、小津安二郎ゆかりの地を巡る散策ルートが「小津の散歩道」として整備されている。そこで時間の許す限り散策することにした。
別荘の2~3割は旧い別荘で、住む人もなく朽ち荒れはてていた。
笠智衆の別荘?
別荘周辺ではシカをよく見かけた
小津の一本桜
ここまで登ると蓼科山や横岳が良く見える
参考資料:
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