2016年の春、退職と再雇用の間の休みを利用して、徳島~高知を回った。その時は時間の制約もあり、「歩き、自転車、車」の組み合わせのお遍路であった。
お遍路さんを経験してみると、やはり全行程を自分の足で歩くほうが充実している。年をとって病気などすれば、それもできなくなるので、今回は高知の雪渓寺(33番)~愛媛松山の大山寺(53番)を「歩き遍路」で回ることにした。距離は約500㎞。昔の東海道とほぼ同じである。
江戸時代の人は東海道を12~13日で旅したと言われているが、そうであれば、1日40㎞(10里)くらい歩かねばばらない。これまで荷物を背負って40㎞も歩いたことがないので、富士見周辺や天竜峡周辺をザックをしょって歩いてみたところ、20㎞/日であれば時速5㎞程度で歩けそうである。ただそれ以上の距離を、2週間、毎日歩けるかどうかわからない。そこで自分の体力を確認しながら歩き、その日の調子をみて宿泊場所を決める遍路計画を立て、四国に向かった。
この時期を選んだ理由は、3月前の”農閑期”であることと、まだ寒い季節なのでお遍路さんも少なく、宿が容易に自由に選べるのではないか?と思ったからである。
■荷物
歩き遍路では荷物は5㎏以下が良いと言われている。それで、当初携帯する予定だったカメラもスマフォで代用することにして、できるだけ軽量化を図ったが、着替え、カッパ上下、傘、遍路セット(納経帳、ローソク・・・・)、遍路ガイド本、薬、歯磨き、髭剃りなど必要最低限のものだけでも、6.7㎏になった。さらに水や昼食類を加えると7㎏強になる。これを背負って40㎞歩けるか少々不安だ。
■2月19日(月) 飯田→高知 移動
飯田を夕方出発。名飯バスに乗って名古屋に向かい、名古屋からは夜行バスを利用し高知市に向かった。夜行バスは、独立3列シート、レッグレスト付きリクライニングなので、寝ている間に目的地に到着してありがたい。
■お遍路第1日目(2月20日) 快晴
▼高知の「とさでん桟橋バス停」には朝7:00に到着した。ここから前回区切りを打った雪渓寺に向かい、境内で朝食をとった後、34番の種間寺に向かった。途中、遍路道で出会ったおばさんに挨拶をし、「これから種間寺に行く」ことを告げると、「自分はそのあたりに住んでいて、たたみいわしを作っている」といいながら、ヤクルトと飴の接待をしてくれた。種間寺でも私が歩き遍路であることがわかると、納経所の方がグミとビスケットを接待してくれた。歩き遍路ではこうして地元の方とふれあうことができて楽しい。
▼種間寺から35番清瀧寺までは約10㎞の道のりである。仁淀川の堤防を歩き、きつい山道を登って寺に到着すると、高岡町の町並みと土佐湾が一望できた。
▼清瀧寺を13:30に出発し、14㎞先の宇佐町にある36番清龍寺に向かった。清龍寺に行くには塚地峠(標高190m)を越えなければならないが、初日のせいか峠越えは結構きつかった。峠に着くと宇佐湾が一望でき見事な景色だった。
▼塚地峠を下りると、安政地震・津波の碑があった。一方、町の中には、南海地震に備えて、いたるところに「この地点の海抜**メートル、避難場所***」という看板が立ってていた。
▼宇佐大橋を越え、36番清龍寺には納経時間ぎりぎりの16:45になんとか到着することができた。今日の宿は三陽荘。近くに安く泊まれる国民宿舎があったが、昨年暮れから営業をやめている。三陽荘でも平日は安い部屋が予約できると思ったが、この日ばかりは満室で、仕方なく10,000円の部屋に泊まった。こちらの思い通りにはいかないものである。ただ旅館だけあって、夕食はそれなりに豪華であった。
▼今日の歩行ルート 高知とさんでん営業所~36番清龍時 37.5㎞
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