11月20日(金)
今日は前線が日本列島を横断し昨夜より雨となった。特に午前中は南紀白浜エリアは強い雨と風にみまわれ、当初予定の熊野本宮大社と川湯温泉行きを断念。昼から南方熊楠記念館へ行った。
▼南方熊楠記念館
南方 熊楠 (みなかた くまぐす) 1867年4月15日~1941年12月29日
南方熊楠は、和歌山県が生んだ博物学の巨星。東京大学予備門中退後、19歳から約14年間、アメリカ、イギリスなどへ海外遊学。さまざまな言語の文献を使いこなし、国内外で多くの論文を発表した。研究の対象は、粘菌をはじめとした生物学のほか人文科学等多方面にわたり、民俗学の分野では柳田国男と並ぶ重要な役割を果たした。生涯、在野の学者に徹し、地域の自然保護にも力を注いだエコロジストの先駆けとしても注目されている。
(南方熊楠記念館HPより)
彼の博物学的な好奇心は計り知れないものがある。1時間程度の見学を予定していたが、記念館には2時間も滞在してしまった。
記念館が位置する番所山公園からは、白浜の温泉街や円月島が望める。
11月21日(土)
朝から晴天。しかし風が強い。まずホテルの近くにある千畳敷と三段壁を見学する。
▼千畳敷
千畳敷は、波の浸食でできた平らな海底(波食棚)が隆起して海岸段丘となった地形。
リップルマークと思われる模様が確認できた。
▼三段壁
前弧海盆に堆積した田辺層群上部層(※)の厚い砂岩層がつくる高さ50mほどの海食崖。その下部には海食洞が形成されている。(※注参照)
※注の説明 南紀熊野ジオパークHPの説明より
海洋プレートと大陸プレートの境目に堆積したもの(海溝堆積物)は、海洋プレートが沈み込むにつれ、どんどん陸地に押し付けられ、南紀熊野の土台(付加体)が作られた。1800~1500万年前、どんどん陸地に押し付けられ、浅くなった付加体の上に、くぼみができ、陸地から流れてきた砂や泥が堆積した(前弧海盆堆積体)。
▼シガラミ磯
続いてシガラミ磯に向かった。千畳敷などと違い観光地ではないので車を止めるところがない。なんとか川の堤防沿いに空き地を見つけ、そこから海岸まで歩くと海岸沿いに砂岩泥岩互層がつくる綺麗な縞模様が観察できた。
前弧海盆に堆積した田辺層群上部層の砂岩泥岩互層が織りなす絶妙な縞模様が印象的である。おもに潮流や波浪により砂などが運ばれて形成された堆積構造が発達し、浅海で堆積した地層の特徴を観察できる。また、生痕化石も見られる。(南紀熊野ジオパークより)
生痕化石(生物の生活の証拠を残した化石)
磯では1か月ほど前に大きな崩落があり立ち入り禁止だったが、地元の釣人はお構いなしに崩落した海岸を歩いていた。
崩落した岩の裏には、塩類風化でできた大きなタフォニが見られた。
▼古座川の一枚岩・高池の虫喰岩
紀伊半島南東部には1500万年~1400万年前の火成岩体である熊野酸性岩類が分布している。現在は火山がないこの地もかつてはカルデラを形成するほどの激しい火山活動があった。降水量の多いこの地方は激しい浸食を受け、地上のカルデラ地形はすっかり失われたが、地下に作られたマグマの通り道は見ることができる。その一つが「古座川弧状岩脈」。岩脈は東西長さ22㎞の岩の壁で、カルデラの南側を縁取っていたと考えられている。(日本列島5億年史より)
古座川弧状岩脈上には「古座川の一枚岩」や、岩肌が風化し虫喰状に穴が開いた「高池の虫喰岩」などが見られる。
古座川の一枚岩:
古座川の一枚岩は高さ約100m,幅約500mの一枚の巨岩であり,熊野酸性岩類の活動の最終段階でカルデラ噴火の際に火道にたまった流紋岩質凝灰岩からなる弧状岩脈の一部。
高池の虫喰岩:
虫喰岩も一枚岩と同じ火砕岩の岩壁だが岩の表面がハチの巣状に風化している。これは岩の表面から水が蒸発するとき、水に含まれていた成分(塩分)が結晶し、岩の表面とともにはがれ落ちてできたといわれている。このような風化洞窟はタフォニと呼ばれている。
まとめ
2日間の地学散歩は見ごたえのあるものだった。とくにかねてより見たいと思っていたフェニックス褶曲は圧巻だった。ただし旅を終え改めて各ジオサイトの見どころや地質学的なポイントを整理してみると、もう一度行って確認したいことがたくさん出てくる。今後も基本的な地学の知識を勉強し各地のジオサイトを回りたい。
2日目の天気が悪いことが予想されたので、1日目は熊野古道を歩いた後、ジオサイトを回るという強行軍となり疲労が蓄積した。若くはないのだから無理は禁物である。
参考資料:
南紀熊野ジオパーク推進協議会が作成した「南紀熊野ジオパークの地質と地形」のリーフレットはよくまとめられていてわかりやすい。ホームページの資料と合わせて参考になった。
コメント