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四国遍路2022 歳時記

2022-09-08 高野山 町石道を歩く

9月8日 第2日目 町石道を歩く

今日は歩き遍路の最後として、高野山に通じる表参道、町石道(ちょういしみち)を歩いた。標高70mの九度山の慈尊院から、標高840mの高野山 根本大塔までの約21 kmの参詣道には、道しるべとして1町(約110m)毎に180の町石が置かれており、町石道と呼ばれている。

ヤマレコ自動記録によるコースタイム

当日の朝の天気予報は午後から一時雨。ところが慈尊院に向かう途中で雨が降ってきた。最近の天気予報はことごとく外れるので、これは強い雨になるかもしれないと慌ててコンビニに立ち寄り、長さ70㎝のビニール傘を買い求めた。続いて車を慈尊院近くの道の駅「柿の里くどやま」に止め、雨支度をしていたので、道の駅の出発は予定より15分遅れの7時55分となった。しかし慈尊院に着くころには雨がやみ、結局一日中長い傘を持ち歩く羽目になってしまった。

慈尊院から大門へ

▼九度山の慈尊院から丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)に通じる石段を登ると右手に最初の町石がある。丹生官省符神社は、空海が高野山の開創にあわせて地主神だった狩場明神とその母の丹生都比売(にうつひめ)を祀った神社で、ここで今日の参詣の安全を祈願し、高野山の表玄関「大門」に向かって出発した。

▼神社から参道に下ると179町目の町石がある。これは、文永6年(1269年)、鎌倉幕府第6代執権北条長時の弟、時茂によって建立されたものだそうだ(九度山HPより)。町石は宇宙の成り立ち(空風火水地)を示す仏塔・五輪塔の様式で作られている。

▼比較的急な町石道を30分ほど標高270m辺りまで登ると斜面一体に柿畑が広がっている。九度山は甘柿の産地として有名だが、急傾斜の柿畑はよく整備されていて農家の方の苦労が偲ばれた。柿畑の中にある展望台からは紀の川、九度山、橋本方面が良く見えた。

 

▼展望台から山道をさらに登っていく。道には結晶片岩と思われる石が転がっている。このあたりが中央構造線の外帯=三波川変成帯の付加体であることが想像された。

▼小休止をしながら歩くこと1時間、標高約560mの六本杉に到着。ここから尾根伝いに等高線に沿って矢立峠までの比較的なだらかな山道を約9㎞歩く。

▼急傾斜地に植えられた杉林はよく手入れがされている。

▼高野山をお参りする際に天野の里の丹生都比売(にうつひめ)神社を遥拝したと言われる二ツ鳥居。鳥居の前の休憩所からは天野の里が見えた。

▼鳥居から少々下ると神田地蔵堂前でゴルフ場に遭遇。地図を見ると紀伊高原カントリゴルフが参道に沿って造成されていた。これまでずっと山道で誰にも会わず古道を歩くことに集中していたので、突然日常に引き戻された感じで残念だった。

▼笠木峠で早い昼食休憩をとり、矢立峠から最後の6㎞の登坂にとりつく。急な坂を40分ほど登ると町石道は国道480号線と交差し、その上にある休憩場からは遠くにうっすらと大阪湾が臨めた。

さらに歩くこと約1時間、13時35分に大門にようやく到着。慈尊院から約5時間半のアルバイトだった。町石道は高野山のような山深いところに物資を運搬するため比較的平坦なルートになっているが、さすがに22㎞を登り続けると体力が消耗した。

▼大門前の最後の登り。
ブラタモリではタモリと近江アナウンサーが、さも町石道を登ってきたかのように、ここでロケがされた。

▼大門到着

大門をくぐり高野町に下っていくと、高野山で有名なごま豆腐屋があったので休憩を兼ねごま豆腐をいただいた。疲れていることもあったが、特性の醤油と一緒にいただく豆腐はたいへんうまかった。日持ちのする真空パックの豆腐を土産として購入した。

壇上伽藍

壇上伽藍は、弘法大師・空海が高野山を開山した際、真っ先に造営に取り組んだ場所で、奥之院とともに高野山の二大聖地の一つ。密教思想に基づく曼荼羅(まんだら)の世界観を具現化したものといわれている。(和歌山観光サイトより)

▼壇上伽藍の手前にある1町石を確認し壇上伽藍へ。

▼中門をくぐって境内へ入ると、正面には金堂、右手には最後の180町石でもある根本大塔が見える。境内の左手には六角経蔵がある。

▼金堂

▼六角経蔵
ここは鳥羽上皇の皇后が夫の供養のために自筆で写したお経、約5000典ほどを収めていた経蔵で、下の方に突起があって、それを持って時計方向に1周すると仏教の経典をすべてお唱えしたことになる。ところが独りではなかなか回らない。すると近くにいた方が一緒に回すのを手伝ってくださった。感謝!

続いて境内にある、御社、西塔、金堂、根本大塔を拝観する。

▼御社

▼西塔

▼根本大堂

根本大塔の内部は胎蔵界の大日如来を中心に、周囲に金剛界の四仏が祀られ、さらに金剛界の十六菩薩が描かれた柱が囲んでいる。参拝者が誰もいない静寂の中で暫し休息した。

その後、東塔から紅葉が色付きはじめた蛇腹路を通り、昨日の出発点、千手院橋のバス停に到着した。ここから昨日同様、高野山駅までバスに乗り、ケーブルカー、電車を乗り継いで九度山駅で下車。車を止めてある道の駅「柿の里くどやま」へ戻った。

▼東塔

▼蛇腹路

今日は雨の予報だったが終日曇りの天気で、無事、町石道を完歩することができた。しかし宿に戻って今日の行程を振りかえってみると、壇上伽藍で三鈷の松を見るのを忘れてしまった。高野山に通じる高野参詣道は町石道のほかに「高野七口」と呼ばれる複数の経路がある。もし機会があれば、高野参詣道 三谷坂を使って丹生都比売神社経由で参詣し、三鈷の松を拾って来たいがさてどうなるか・・・・。

おまけ:南海電鉄高野線について

山岳鉄道

橋本駅 – 極楽橋駅間は山岳鉄道であり、特に高野下駅以南は50‰の勾配や、制限速度33km/h、半径100m以下の急カーブが続く登山鉄道となっており、21m級の車両は走行できないため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる17m級の中型車両のみが使用されている。


とりわけ高野下駅 – 極楽橋駅間においては完全に線路が山の中に入るために、途中にある駅へは幹線道路からすれ違いの困難な狭い道路や林道があり、車で辿り着くのは容易でない。各駅の周辺の山間部は民家が少なく利用客もきわめて少ないが、すべての駅に簡易型の自動改札が完備され、駅係員も橋本駅および下古沢駅、紀伊細川駅から極楽橋駅のすべての駅に配置されている。橋本駅 – 極楽橋駅間は単線であるが、上古沢駅を除く全ての駅が行き違いのできる交換可能駅である。(Wikipedia)

▼動画:急カーブが続くくため、飯田線同様、”キーン”というレールと車輪のスリップ音が常に聞こえている。

 

高野山ケーブルカー

高野線の終着駅である極楽橋駅と高野山の玄関口である高野山駅を結ぶ路線。ケーブルカーは、法律のうえでは「鋼索鉄道」という種類にあたり、南海電鉄では『鋼索線』と呼んでいる。全長0.8Km、高低差328mを約5分で結ぶ。交走式ケーブルのため、極楽橋・高野山両駅の発車時刻は同一であるが、高野山駅発極楽橋行きの場合、極楽橋駅で高野線の接続列車がない場合は回送便として客扱いを行わない。

路線データ
路線距離(営業キロ):0.8 km
方式:単線2両交走式
軌間:1067 mm
駅数:2駅(起終点駅含む)
高低差:328 m
最急勾配:568.2 ‰(29°21′)

現在4代目のケーブルカーが運航されている。客車部分はスイスのキャビンメーカーが手掛け、欧州風の流線型が特徴的なアルミ製の車体に、高野山・壇上伽藍の根本大塔を想起させる朱色をコンセプトカラーとして採用している。(高野ケーブルカーHPより)

▼動画:ケーブルカーの交差ポイント

 

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