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四国遍路 四国遍路2023 歳時記

2023年 四国再訪(2)平等寺~薬王寺~阿波海南駅

2月17日(金)晴 平等寺~薬王寺~牟岐駅

歩行距離:38㎞ 歩行時間:8時間50分

<第22番札所平等寺 びょうどうじ>

朝7:15、民宿を出発。天気は晴れ。今朝の徳島は放射冷却で氷点下まで冷え込み霜もおりて寒いが、朝日が平等寺を照らして美しい。22番札所平等寺に着くと本堂で朝のお勤めが始まっているようでお経が聞こえてくる。聞けば「般若心経」だ。あわててカメラで録画した。2016年に平等寺を訪れた時は、ちょうどNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」のロケが入った日だったが、今日はお経を生で聞けるなど、この寺では特別なイベントに遭遇するような不思議な縁を感じお守りを購入した。

平等寺を参拝し日和佐の薬王寺に向かう。薬王寺に行く道は2つあり、一つは由岐に出て海岸沿いを歩くルート。もう一つは国道55号沿いに歩くルート。距離的には国道のほうが短いが車の騒音が辛そうだ。パンダやのご主人に相談したところ、「今は鉦打(かねうち)トンネルの先から高速の無料区間が日和佐まで通じたので、国道はガラガラで静かに歩ける」とのこと。由岐から海岸を歩くルートは前回の遍路で歩いているので、国道ルートを選択した。パンダやの主人の言う通り国道は車がまったく走っていなかった。木曽の19号線も旧国道が新しいバイパスに取って代われ旧国道は廃れていたが、このりっぱな国道もそんなふうになるのだろうかと思いながら足を進めた。

<第23番札所薬王寺 やくおうじ>

国道ルートを使ったので、23番札所薬王寺には計画より1時間ほど早い12:00に着いた。

薬王寺を参拝し瑜祇塔(ゆぎとう)から日和佐の街並み眺めた後、宿でもらった旅行クーポン「徳島割り」で昼飯をとろう道の駅に向かった。ところが「クーポンは物産館でしか使えない」とのこと。そこで200m先の物産館へ行くとお土産品があるだけで食品は何もない。仕方なく200m戻ってファミマで弁当を買い、道の駅のベンチで食事をとった。ところがいざゴミを捨てようとすると「ゴミ持ち帰りキャンペーン」と称してゴミ箱がない。「おいおい、ここは薬王寺があるお遍路さんのための道の駅じゃないのか。せめてゴミ箱のサービスがあっても良いのに・・・。」とぼやきながら、仕方なくまた200m戻ってファミマでゴミを捨てた。旅行クーポンを使おうとしたばかりに1時時近く時間を浪費。「無欲でないから報いがきたのかな?」と悶々として日和佐を後にした。

日和佐から次の室戸岬にある24番札所最御崎寺までは65㎞。これからはただひたすら通行量が多い国道を歩くしかない。今夜の宿は日和佐にとってあるので、電車の時間を確認し午後は牟岐駅までの15㎞を歩くことにした。景色に特徴のない山間部の国道を歩くのは山道よりも疲れたが、夜はこの旅で唯一の2食付きの温泉宿「白い灯台」に泊まって体を休めることができた。

 

2月18日(土)曇時々晴 牟岐駅~阿波海南駅

歩行距離:12.4㎞ 歩行時間:3時間

朝、宿の窓から太平洋に登る朝日が見えた。朝食をとり7時半ごろ宿を出発。日和佐駅から牟岐駅へ電車で移動し遍路を再開した。

▼ホテルから大浜海岸を望む

最終日の今日は少々時間に余裕があるので、パンダやの主人が紹介してくれた旧遍路道を歩くことにした。昔の土佐街道にはトンネルなどなかったので、海岸に突き出した山を越すには、峠を登るか海沿いの崖を歩くしかなかった。今日はそんな昔の遍路道を少しだけ味わえる。牟岐駅から国道55号線を歩くこと1㎞。ローソンの手前で左折して大阪峠に通じる急な上り坂にとりつく。約100m登って尾根伝いに歩き、峠を越すと内妻浜が見えてくる。

峠を下り浜の堤防沿いを歩き、続いて内妻トンネルの手前の急坂を登り松坂峠を越すと古江ノ浜に出る。

ここは岩礁があって釣り人が糸を垂れていた。岩場と砂浜の海岸を歩き再び国道に戻った。この間、国道のトンネルを使えば30分で行けるところ、旧遍路道では1時間かかった。トンネル歩きは自動車の騒音と風圧で嫌なものだが、その有り難さがよくわかった。

合計距離: 3112 m
最高点の標高: 91 m
最低点の標高: 8 m
総所要時間: 00:56:32

旧遍路道から国道に戻り1.5㎞歩いて四国別格霊場 第4番札所「鯖大師」に到着。鯖大師には、片手に鯖を一本持った弘法大師がいる。2016年に車で来たときはあわただしい参拝だったので、鯖大師の裏手に多宝塔があることに気づかなかったが今回は参拝することができた。するとこれまた偶然、平等寺と同様、読経の声が聞こえてくる。あわてて多宝塔にに近づき読経を動画に収めた。

鯖大師からはまた耳栓を付けて国道を歩くことになるが、日和佐から牟岐までの山間地と異なり、左手に海岸が開けているのでほっとする。歩くこと1時間半、ようやく今回の遍路の最終ポイント、阿波海南駅に到着した。ここはJRの終点であるとともに、線路と道路の両方が走れるDMV(Dual Mode Vehcle)が走る阿佐海岸鉄道の起点でもある。

ここから12:08発のJRの鈍行で徳島駅にもどり、往きと同様、高速バスと新幹線を乗り継ぎ、飯田には20時過ぎに着いた。この間ずっと乗り物に揺られぱなしだったのでさすが疲労困憊した。

今回歩いて感じたのは、徳島の南部がどんどん廃れていること。その一方で四国横断自動車道などの高速網の建設が進んでいる。人口が減少し持続可能な産業も乏しく町の存続すら危ぶまれているのに、行政は高速道を建設すればまた昔のように活況な町になると思っているのだろうか? 以前BBCの特派員が、「日本の自民党はなぜ選挙に勝ち続けるのか」というレポート※で、日本の田舎になぜこんな自動車道があるのかという疑問(questionable economic benefits)を呈す番組を放映していたが、そのアンバランスさを肌で感じる旅でもあった。

※:BBC東京特派員のルーパート・ウィングフィールド・ヘイズ氏は、10年間赴任した東京を今年去るにあたり、「日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている」というメッセージを残し反響を呼んだ。

→ 2023年四国再訪(3)に続く

 

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